北陸自動車道全線開通30周年
中日本高速道路株式会社 執行役員 金沢支社長

記念対談福井篇 記念対談福井篇

「奥の細道」(素龍清書本)所蔵 西村家16代目当主
森島 貴代治氏
西村 久雄氏
北陸自動車道全線開通

令和の「奥の細道」を目指して
松尾芭蕉の道をつなぐ

西村久雄氏は、「奥の細道」の原本を保管する西村家の16代目。かつて松尾芭蕉が歩いたルートに沿って、今は北陸自動車道が走っています。西村氏と中日本高速道路株式会社の森島貴代治(執行役員 金沢支社長)が松尾芭蕉の足跡、そして旅や道について語り合いました。

北陸の旅を
世に広めた松尾芭蕉

受け継がれてきた重要文化財「素龍清書本(そりゅうせいしょぼん)」

森島北陸自動車道全線開通30周年記念ロゴには芭蕉さんの姿が描かれています。これは、奥の細道のルートが、現在の北陸自動車道と重なるためです。西村さんは奥の細道の原本を保管していらっしゃいますね。

西村はい、私は16代目なのですが、その昔、10代目の西村野鶴の手に原本が渡り、それ以来代々受け継がれてきました。原本は「素龍清書本(そりゅうせいしょぼん)」と呼ばれ、松尾芭蕉が綴った奥の細道を素龍に浄書させたものです。北陸自動車道の誕生以前は、家の前を通る国道8号線が重要な幹線道路でした。西村家は444年間この地で暮らしてきましたので、まさに道とともに歩んできたと言えます。

受け継がれてきた重要文化財「素龍清書本(そりゅうせいしょぼん)」
昨年惜しまれつつ閉店した「民藝茶屋 孫兵衛」にて

森島実は私は、芭蕉さんと同じ伊賀の生まれでして、幼少期から“芭蕉さん”と呼んで親しんできました。こうして、北陸自動車道を管理する立場となり、語り合えるのは感慨深いです。

西村伊賀は、松尾芭蕉の文化を大切に受け継いでいますよね。

森島命日である10月12日には、芭蕉祭がありまして、夏休みの宿題では、みんなで俳句を詠みます。芭蕉さんの句を盛り込んだ合唱曲などもあります。だからなおさら、こちらで初めて原本を拝見したときは非常に感動しました。「素龍清書本」は、「西村本」とも呼ばれていますね。

西村西村家で代々受け継がれる中でそう呼ばれるようになりました。重要文化財ですから、父の代から受け継いだときには、目には見えないけれども、ものすごく重い責任を受け取ったと感じました。父は、奥の細道についての解説を私のために書き留めて残すことはしませんでした。それを読んで学ぶのは簡単ですが、それでは頭に残らないと考えていたんだと思います。だから、原本を受け継いだ当初は、知らないことが多すぎて恥をかくこともあって…。でも、恥はかいたほうがいいと思うんです。そこから自ら学び、身に付くということを感じています。

自然まで味わう旅を

「奥の細道」(素龍清書本)所蔵 西村家16代目当主 西村久雄氏

西村1689年、当時46歳だった松尾芭蕉は、江戸を出発して、日光、松島、平泉を経由して、新潟から北陸を南下しました。奥の細道の終着点は大垣ですが、徒歩でたどり着いた最後の場所は、ここ敦賀です。この原本もまた、歴史の過程で様々な土地を旅してきましたが、こうして敦賀に戻ってきたことには運命を感じます。

森島「奥の細道」から広がった北陸の旅は、高速道路へとつながり、今も多くの人々が旅をしています。北陸3県に新潟を加えた北陸自動車道の各SA(サービスエリア)には、芭蕉さんの15の句碑があります。

西村私は、金沢までしばしば車で行くのですが、SAに立ち寄ると、自分が原本の所持者であるということもあって、毎回句碑を見ています。

森島西村さんが特に好きな句はどのようなものですか。

中日本高速道路株式会社執行役員金沢支社長 森島貴代治氏

西村私が特に好きなのは「象潟(きさかた)や雨に西施(せいし)がねぶの花」という歌です。私は釣りが好きなのですが、行くとねぶの木が多く見られ、雨の日にはその木に咲く花が特に映えるんです。西施というのは、楊貴妃と並ぶ中国の四大美女の一人ですが、その西施が薄暗い中にぼんやりと横たわっているように見えたという句です。実際にそう見えるもので、松尾芭蕉の目に映った光景を実際に追体験できるのは素晴らしく、その瞬間を目の当たりにすると、それまで以上に句への理解が深まります。

森島芭蕉さんが詠んだ「早稲(わせ)の香や分け入る右は有磯海(ありそうみ)」という句があります。1983年に誕生した有磯海SAは、日本のSAやIC(インターチェンジ)の中で、実在しない地名を使用した初の事例です。有磯海(ありそうみ)とは富山湾の別名ですが、これは歌枕であり、地図には記載されているわけではないんですね。

西村本の中には、名句とともに松尾芭蕉の心を揺さぶった、自然の美しさや歴史の深さも描かれています。美しい景色があるからこそ句が生まれたという実証がそこにあります。車で旅をする現代の人々が、同じような感動を得られると素敵ですね。

北陸の旅を、未来へつなぐ

西村家の母家に隣接する趣のある庭園を歩く西村氏と森島氏

西村徒歩が中心だった江戸時代の旅は、決して容易なものではなかったはずです。だからこそ、宿場町での休息は、旅の重要なひとときだったことでしょう。今その役割を担っているのはSAですね。時代は違えど、旅の本質は変わらないように感じます。

森島はい、SAは一息つける場所であり、その地域の特産品や文化に触れられる場所でもあります。北陸の魅力を伝えるためにも“芭蕉さん”の精神に学びながら、より安全で快適な旅を支えていきたいと思います。

西村福井県は、恐竜を推していますけれども(笑)、松尾芭蕉が旅した記録の原本がこうして残っていて、その足跡は、現代の旅にも通じるものがあります。その強みをもっと多くの人に知ってもらって、北陸を巡る楽しさが広がっていってほしいですね。

西村家の母家に隣接する趣のある庭園を歩く西村氏と森島氏
西村家の母家に隣接する趣のある庭園

森島芭蕉さんの足跡は、旅することや道をつなぐことについて、今でも多くのことを教えてくれますね。

西村松尾芭蕉という方は、人生を旅に例えた魅力的な人物だと思います。その生き方には憧れを抱きます。わずか17文字の文学に生涯を捧げ、俳句が世界的に注目されるようになった最大の功労者です。その想いも松尾芭蕉が切り拓いた道として、受け継いでいきたいですね。これからも、北陸の旅の素晴らしさを伝えていきましょう。

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