北陸自動車道全線開通30周年
中日本高速道路株式会社 執行役員 金沢支社長

記念対談富山篇 記念対談富山篇

北陸コカ・コーラボトリング株式会社 代表取締役会長
森島 貴代治氏
稲垣 晴彦氏
北陸自動車道全線開通

高速道路でつながる北陸3県を
1+1+1=3以上の都市圏へ

北陸コカ・コーラボトリング株式会社の稲垣晴彦氏(代表取締役会長)と中日本高速道路株式会社の森島貴代治(執行役員 金沢支社長)が、高速道路と物流、そしてこれらの北陸について語り合いました。

物をはこぶ道
暮らしを支える道

中日本高速道路株式会社執行役員金沢支社長 森島貴代治氏

森島北陸自動車道の最初の区間である小松IC~金沢西ICが誕生したのは1972年です。

稲垣富山県に最初に開通したのは翌年の1973年でしたね。

森島現在の東の終点は新潟中央JCTですが、1988年に海上高架橋によって難所と言われた親不知(新潟県糸魚川市)の区間が開通し、富山と新潟が繋がりました。その6年後に全線開通を果たし、この2024年7月が、まさにそれから30年となります。

稲垣稲垣家は1862年から、代々若鶴酒造を営んできました。1961年のコカ・コーラの輸入自由化をきっかけに、全国各地でコカ・コーラの企業化を図る動きが進み、二代目の稲垣小太郎が北陸での販売権を取得しました。日本では、地域ごとにコカ・コーラボトラーズがそれぞれ独立した資本で経営しています。

北陸コカ・コーラボトリング株式会社代表取締役会長 稲垣晴彦氏

森島お話を伺っていると、北陸自動車道の開通の歴史と重なる部分があり、高速道路と御社の事業がいかに密接な関係にあったかを想像します。

稲垣まさに、北陸コカ・コーラボトリングの創業は1962年ですから、北陸自動車道の延伸とともに事業を拡大してきたと言えます。さらに思い返せば、全線開通と時を同じくして、それまでの多拠点製造から、現在の一拠点製造へと舵を切りましたが、これが社内で大激論を巻き起こしました。

森島一拠点製造への移行は大胆な決断ですね。その背景にはどのような考えがあったのでしょうか。

北陸コカ・コーラボトリング砺波工場を囲む緑豊かな遊歩道
北陸コカ・コーラボトリング砺波工場を囲む緑豊かな遊歩道

稲垣新しい工場の建設が計画されたとき、従来通りの多拠点製造を続ける方向で話が進んでいました。しかし私は、それは時代に合わないと感じていました。高速道路網が整っているのですから、集中拠点で製造するべきだと思ったのです。一つの工場で製造できる製品数には限りがありますから、結局、輸送し合う手間やコストが生じます。おかげさまで、現在では、200種類以上の製品を製造し、北陸3県と長野県を中心に届けています。高速道路網の発展が当時の大型工場化を決断する大きな後押しとなりました。

森島ICのそばには、自ずと工場が増えていきます。建設場所には悩まれましたか。

稲垣はい、大型工場をつくるとなったら、どこのICのそばに建設するかで頭がいっぱいになりましたね。何年も検討を重ねて現在の場所に決まりましたが、飲料製造にはやはり良い水が必要です。結果的に、この場所は地下水が非常に豊富で、深い井戸から汲み上げた水が、ナチュラルミネラルウォーターであったことも幸運でした。

砺波工場隣接のさわやかパークにて
砺波工場隣接のさわやかパークにて

森島工場建設には物流の視点が欠かせませんが、物の流れを止めてはいけないというのは、高速道路の使命の一つです。高速道路が止まることは、小売店から物がなくなることに繋がりかねません。冬の除雪は、北陸特有の長年の悩みですが、近年は計画的に通行を止めさせていただき、集中的に除雪をして、早急に通行を回復させるオペレーションに努めています。

稲垣一方で、その雪解け水が、私たちの飲料事業にとっては非常に重要な訳です。今、使用している水は、おおよそ30年ものの地下水と言われています。北陸自動車道が全線開通して30年ですから、同じ時を重ねてきた水を飲んでいるというのは感慨深いですね。

今できること
これからに願うこと

中日本高速道路株式会社執行役員金沢支社長 森島貴代治氏

森島年始に、能登半島地震が発生しました。私たちにできることとして、トイレカーと給水車(消毒した散水車)を現地に運びました。私どもは高速道路で作業するため、トイレを積載している車両を日々使用しています。地震直後は、大きな車両がなかなか入っていけない場所もありましたが、小回りが利くトイレカーがあったことで、能登半島の奥まで行くことができました。北陸コカ・コーラボトリングさんでは、地震の翌日に30万本もの水を提供されていましたね。

稲垣近くで製造している当社だからできたことだと思います。地震後まもなくして水道が止まったので飲料水を一刻も早く届けなければいけないと思いました。製造計画の関係で、年末にいつもより多くの飲料を製造していたのも不幸中の幸いでした。1月2日にすぐにお届けできたのもそのためです。また、被災地のゴミを少しでも減らすために、空いたペットボトルをつぶして容積を減らす機械も導入しています。

北陸コカ・コーラボトリング株式会社代表取締役会長 稲垣晴彦氏

森島災害対応においても、北陸のつながりが大きな力となりますね。地元の協力があってこそ、迅速な支援が可能になります。

稲垣弊社で設置している自動販売機は現在約3万台あり、それらはオンラインで管理されています。不具合が発生した場合は遠隔で把握できます。しかし、今回のような非常事態に直面すると、将来的には自ら電源を持つ自動販売機の開発が必要だと感じます。

森島大きな災害を経験し、あらためて北陸のつながりの大切さを感じます。全線開通30周年の節目ですが、これからの高速道路に期待されることはありますか。

稲垣北陸の3県が一つの地域として密接に繋がっていることはとても重要です。新幹線や高速道路はその基盤となっていて、特に高速道路は30年前から地域を繋げてきました。今後、北陸が一つの地域として発展するためには、それぞれの拠点都市がさらに成長する必要があります。

森島高速道路をご利用いただくと、富山から福井まで1時間半から2時間で行くことができます。北陸がもっと一つにつながるための道を、これからも支えていきたいと思います。

稲垣30年前から延伸を続けてきた高速道路は一本道ではありません。枝分かれし、複数のルートで地域と地域を結んでいます。県単位ではなく北陸という都市圏として大きく捉えれば、福井、石川、富山は1+1+1は3ではない。繋がることで一つの大きな都市圏となり、首都圏との競争にも負けない地域になれると私は思っています。その結び目として、高速道路の重要性はさらに高まっていくのではないでしょうか。

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